スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

posted by: スポンサードリンク | - | | - | - | - |

バクマン。27ページ「策士と騙し」

コマが
多すぎ
です
の巻

「下手すれば 見吉に対する やきもち…」
「俺にはシュージンが 必要だって」


それなんてホry

「展開早くて いいな」「本当に いいのか」
と作中でシューサイコンビがいうように、
ホント展開早いなあ。
スピード解散スピード再結成。
その裏には策士服部クンの「二ヵ年計画」が……

いっぽう真太スは本誌で読み切り掲載が決まったり、
中井さんもやる気出しちゃってたり、
亜豆ちゃんのアニメのお仕事が2本に増えてたりと、
シューサイコンビ以外も着実に動きがある模様。
そしてあいかわらずパンチラ要員ムードメーカーな見吉さん。

そんなこんなで、前回危惧していたような
本格的なコンビ決裂は、キューピッド服部氏の暗躍によって回避。
まえにも書いた気がするけど、「この早さなら言える!」的な乗りで
ガモウ先生は本当に言いたいことを言っている感じがする。

このぶんだと服部氏の「二ヵ年計画」も
「二年後……」とかでショートカットされそうな勢いだけど、
コンビ解消ネタもやってしまった今、次はどうなるんだろう?
シューサイコンビの件はひと段落したから、
亜豆か新妻エイジあたりに動きがあるかも……?

JUGEMテーマ:漫画/アニメ


posted by: アダチアタル | バクマン。の感想 | 14:35 | comments(0) | - | - |

バクマン。26ページ「2人と1人」

もしかして
コンビ解消?
の巻

あいかわらずのホモ展開だなあwww
ほんとは相思相愛なのに、すれ違い……
という、ロミオとジュリエットばりの悲恋劇w
服部氏は、シューサイコンビの
恋のキューピッドたりえるのだろうか。

しかし、服部氏は服部氏で編集者としての計算を
働かせているようなので、サイコーとシュージンの
すれ違いは、もうちょっとだけつづきそう。
服部氏はこのすれ違いを利用して、おたがいが
距離をとりつつ、べったりの関係じゃないかたちで
創作できるようなスタンスを調整しようとしてる……気がするなあ。

とはいえ、服部氏はシューサイ以外の原作で漫画を描く
という選択肢をサイコーに突きつけたうえで、
「しかし それをやったら もう高木くんとは
組めなくなると思った方がいい」
という、わりと厳しい条件を
提示しているので、この言葉を額面どおり受け取るとしたら、
ここでの選択肢は、サイコー(とシュージン)にとっては、
かなり大きな意味を持つことになる。

サイコーは、少なくともこの段階ではシュージンを選ぶ……
と信じたいのだが、逆にそうじゃない場合は、
今後どんな展開になっていくのだろう? うーん、気になる。

見吉さんの花柄パンツおいしゅうございました。

JUGEMテーマ:漫画/アニメ


posted by: アダチアタル | バクマン。の感想 | 21:02 | comments(0) | - | - |

壁と卵のこと



というわけで、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチのことです。
英文はこちら。日本語訳はこちら

ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?


この「壁と卵」の比喩はキャッチーかつ示唆に富んでいて、
さすがだなあ、と思ったのだが、気になったのは、
テレビなどではあまり紹介されなかったそのあとの部分だった。

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。


この部分を読んだときの率直な感想は、

村上春樹が自分の比喩を説明するなんて超レアじゃね?

ということだった。
談志の高座ならともかくw

「ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。」
と前置きしておきながらも、「もっと深い意味があります。こう考えてください。」
「わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。」だもんなあ……。
これはさすがにこの場で比喩を比喩のまま言いっ放しにはできない
という判断なのだろうけれど、それでも作家が(小説ではなくスピーチとはいえ)
比喩を自分で説明するという事態に、おれは強いショックを受けたのだった。

JUGEMテーマ:日記・一般


posted by: アダチアタル | 雑記 | 01:45 | comments(0) | - | - |

小熊の行く末のこと

逆襲のシャアを再見して思ったのだが、
アンドレイがクェスの再現ならば、
ソーマ・ピーリスをかばって死ぬのが
作劇上「妥当」なんだろうなあ。

JUGEMテーマ:漫画/アニメ


posted by: アダチアタル | アニメ | 21:07 | comments(0) | - | - |

「CLANNAD AFTER STORY」について ―「正義のバッドエンド」か「不正義のハッピーエンド」か―

第18話「大地の果て」を観て感じたのは、
「クラナドは人生」ってのもあながち冗談じゃないなあ、
ということで、これはもうひとつの「宗教」の域に達していると思った。
それは「美少女に赦される」という教義であり、
汐ちゃんが男の子だったらやはりこの作品は成立していないはずだ。

実際のところ、朋也のネグレクト(育児放棄)ぶりは半端なくて、
マジで朋也は早苗さんと秋生さんに感謝してもしたりないと思うのだが、
それでもやはりおれたちは朋也が汐ちゃんに「赦される」シーンに
カタルシスを感じてしまう。まさに現代の悪人正機説

と、冗談めかしてみても、このシーンはやはり本作品の白眉だと思う。
汐ちゃんが朋也から買ってもらったロボットのおもちゃをなくしてしまい、
それを必死に探す。朋也は「同じものを買ってあげるから」とあきらめる
ようにうながすのだが、汐ちゃんは朋也から買ってもらったロボットは
世界にひとつしかないのだと答える。この「固有性」「一回性」
朋也が汐ちゃんから「教えられる」くだりは、本当にすばらしい。
(おかげで汐ちゃんが「女神(母親)」になってしまっているわけだけど)

ところが、このカタルシスはほかでもなくクラナド自体によって裏切られる。
それが「光の玉」による「渚の復活」という「奇跡」であり、
この「奇跡」は、汐ちゃんが訴えた切実な「固有性」「一回性」、
かみくだいていえば「かけがえのないもの(を大切にしよう)」
というメッセージと大きく矛盾してしまうことになる。
(渚が死んでしまったこの「人生」も「一度きり」の大切なものなのだから)

しかし、それは麻枝准も充分に自覚していると思われる。
その証拠は二つあって、一つは、この「死んでしまう」メインヒロインに
「渚」(=「シ者」=「死者」)というアイロニカルな名前をつけたこと。
そして、のちに「智代アフター」という作品を世に出したことだ。

劇場版パトレイバー2に出てきた「正義の戦争」と「不正義の平和」
という命題にならっていえば、「渚の復活」という「奇跡」は、
汐ちゃんの訴えたメッセージを裏切るという意味において
まぎれもなく「不正義のハッピーエンド」だろう。
だからこそ麻枝准は「智代アフター」という「正義のバッドエンド」の物語を、
たとえそれがセールスに結びつかないとしても、書かざるをえなかった。
その点、麻枝准は本当にモラリストだと思う。

とはいえ、おれたちはなんだかんだいって
「ハッピーエンド」を求める生き物であり、
おれ個人としても「ハッピーエンド」そのものを
否定する気持ちはさらさらない。でも、
そのハッピーエンドは誰かにとってのバッドエンドなんじゃないか
という目線は、ガンダムやそれこそパト2の洗礼を受けた者としては、
どうしても避けがたく意識してしまう部分ではある。

その対価をよその国の戦争で支払い、
そのことから目をそらしつづける不正義の平和……

たぶん、完全無欠のハッピーエンドなんて、この世に存在しないのだろう。

あんたは知っているはずだ。
正義の戦争と不正義の平和の差は、そう明瞭なものじゃない。
平和という言葉が嘘つきたちの正義になってから、
俺たちは俺たちの平和を信じられずにいるんだ。


JUGEMテーマ:漫画/アニメ


posted by: アダチアタル | 雑記 | 20:17 | comments(0) | - | - |

何故モンハンの虚無僧はガンナー

……ひさしぶりに弟からメールが来て、
なにかと思ったら、上記のようなタイトル。

で、本文はというと、

怪傑ズバットという特撮モノに
尺八ボウガンの使い手である虚無僧が
敵役として出てくるらしい
俺はこれが由来だと思うわ


という素晴らしきムダ知識が。

お兄ちゃん、さっそくぐぐってみたよ!



ちょwwwwwマヂ尺八ボウガンwwwwwwwww
てか、ズバットテラカッコヨスwww

JUGEMテーマ:ゲーム


posted by: アダチアタル | - | 21:51 | comments(0) | - | - |

アメリカのペプシのCMのこと



柄谷の「終焉をめぐって」に出てきた
明治=昭和パラレル説を思い出した。

JUGEMテーマ:日記・一般


posted by: アダチアタル | 雑記 | 18:58 | comments(0) | - | - |

バクマン。25ページ「嫉妬と愛」

もしシュージンがあと2日で
ネームを作ってこなかったら
僕はもう
一人でマンガを描く!
の巻

ついに来たこの展開。
サイコーとシュージンのホモソーシャル的な
濃密な関係性(「友情」)のあいだに、
みよきちという「異分子」が入ると、
まあ、こうなっていかざるをえないよなあ、というお話。

これはバクマンだけじゃなく、ほかのマンガでもいえることで、
男の子どうしのバトルが激化していくと同時に、
「ヒロイン格」の女の子の影がどんどん薄くなっていく

という現象が、ジャンプではまま見受けられる。(ヒカ碁、テニプリetc...)

このヒロイン排除のメカニズムが、逆に
「801」というたくましい乙女のサガ
を生み出した一因だと思うのだが、
この話題はひとまずおいといて……

みよきちはこの排除のメカニズムをものともせず、
存在感を示しつづけており、
むしろコンビの関係性に
深く介入するかたちになっていると思う。
見吉……大した奴だ……
(それゆえに、みよきちのことを「ウザイ」
と感じるひとも、当然いるだろうけど)
その意味では、あずきんのほうが
よりクラシックなジャンプヒロインといえる。

そうすると、あずきんはこのままフェイドアウトしてしまう
運命にあるはずなのだが、その「失敗例」は
もうおじさんがやってしまっているので、
よもやサイコーがその二の轍を踏むことはないはず……
なのだが、かなりヤバイところまでは
おじさんと同じあやまちを繰り返してしまう予感。

みよきちの介入によるサイコーとシュージンのすれ違いは、
今回すでに解決できそうな伏線がはられているので、
今後もっと深刻になっていくのは
サイコーとあずきんのすれ違いのほうだろうなあ。

サイコーは恋と漫画を両立できるのか……
そして、排除のメカニズムを超えて
岩瀬さんよ、よみがえれッ!!!(ぇ


JUGEMテーマ:漫画/アニメ
posted by: アダチアタル | バクマン。の感想 | 15:31 | comments(2) | - | - |

略語のこと

「情弱」がそろそろ「JJ」と略されはじめる悪寒。
「情弱」自体が「情報弱者」の略なわけだが。

まあ、典型的な「優越感ゲーム」ワードですよね……

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: アダチアタル | 雑記 | 20:14 | comments(0) | - | - |

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

森見 登美彦
角川グループパブリッシング
¥ 580
(2008-12-25)
解説の羽海野チカ先生のイラストに惹かれて買ったんだけど、
これはおもしろかったなあ。ライトノベルが中高生のための
エンターテインメントだとすれば、これはおもに大学生や
若い社会人のためのエンターテインメントだと思った。

すごくファンタジックでロマンティックなラブストーリー
……というか、「まだ恋は始まらない」状態だから、
正確にいえばラブ「未満」ストーリー。
冴えない大学生の「私」が画策する、
なるべく「彼女」(黒髪の知的好奇心旺盛乙女)の目に
とまる作戦……通称「ナカメ作戦」の顛末紀で、
「私」と「彼女」の一人称で交互に語られる。
その「すれ違いっぷり」がこの作品のひとつのキモ。

「私」からすれば取るに足らない石ころみたいな「日常」も、
「彼女」の目を通してみると、キラキラひかる宝石に見える。
そのギャップがうまく描かれていて、おれ自身も否応なく
「彼女」に魅了されてしまう。文体が独特なので最初は
若干の抵抗感もあったが、慣れるとそれも「非日常」へと
いざなうための演出として機能する。

この作品を通して語られるのは、
「すべてはつながっている」
というテーマだと思った。
第二章で「古本市の神様」が披露する、
あらゆる本をつなげるエピソードしかり。
この作品を読んでいると「ご都合主義も悪くないよなあ」
そして「人生も悪くないよなあ」と思えてくる。
あと、無性に酒が飲みたくなってくる(笑)。


これはマンガやアニメにしてもよさそう、と思ったら、
すでにコミカライズされているらしい。さすが角川。
アニヲタの習性として、ついつい脳内キャスティング……

彼女:広橋涼
羽貫さん:雪野五月
樋口さん:遊佐浩二

「私」が意外とむずかしいよなあ。杉田智和だと
まんまキョンになってしまうおそれもあるし。
ともあれ、アニメ化するならノイタミナ枠が最適かと。

JUGEMテーマ:読書
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 17:50 | comments(0) | - | - |