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香子萌えの俺が3月のライオンについて本気出して考えてみた


262 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:19:21
いい加減3月のライオンを将棋マンガと勘違いしている奴うぜぇ
将棋マンガじゃないし
ハチワンダイバーの方がよっぽど将棋マンガ

288 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:28:40
将棋マンガじゃなかったらなんなのよ

300 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:31:22
>>288
フクフク…かな?

俺は将棋には興味を抱かないけどあかりさんのおっぱいに魅入られた

304 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:33:02
>>300
うわぁ・・・・

306 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:33:57
>>300
( ;∀;)・・・

311 名無しんぼ@お腹いっぱい 2008/06/28(土) 11:34:55
>>300
(ノ∀`)




……って、違う!

「3月」の本質はあかりさんにあらず!
はじめに香子ありきなんだよッ!!!!!
というのは、別に俺が香子萌えだからいうのではなくて、
このマンガはほかならぬ香子の言葉からはじまるからです。

ゼロだって――
ヘンな名前ぇ――

――でも、ぴったりよね
アナタに

だってそうでしょ?

「家も無い」
「家族も無い」
「学校にも行って無い」
「友達も居無い」

――ほら
アナタの居場所なんて

この世の何処にも
無いじゃない?

しかし、このセリフは、いま、確実に香子自身にはね返りつつある。

以前もこのふたつの場面の類似などから、





「3月」が一種のエヴァのオマージュなんじゃないかと
書きましたが、羽海野先生は以前にも
綾波レイが恢復する物語を描いていました。
いうまでもなく、「ハチミツとクローバー」の理花さんです。
(理花さんを癒したのは純愛ストーカーの真山でしたが…)

零くんがその名前のとおりレイであり、
あるいはまた主人公ということでシンジであるとするなら、
香子はアスカということになる。
これはもちろん「きょう」と「あす」という語呂合わせだけではなくて、
零くんがぐんぐん将棋とシンクロしたのに対して、
香子は、アスカがエヴァとシンクロできなくなってしまったのと同じように、
将棋とシンクロできなかった存在だからです。

「3月」に、零くんがフクフクになる物語、
ほのぼの展開を望む声も多いようですが、
そして実際、零くんとひなたの関係を主軸にした
「優しい物語」というふうに売り出されていますが、
俺の感想はちょっと違います。

そもそも、将棋の世界というのは、フクフクとは対極にあると思う。
むしろ、食うか食われるかの修羅の道。
それを体現しているのが二海堂くんです。
彼は、そのメタボでフクフクな見た目とはうらはらに、
あきらかに将棋に一生を捧げる覚悟を持った人間です。
あの、ひなたに将棋を教えるために渡した絵本に、
将棋への執念にも似た熱い想いを感じたのは俺だけでしょうか?

また、彼があかりさんちにお邪魔した際、
あかりさんのフクフク攻撃をさりげなくかわしているところもポイントです。
もちろん、これは彼の体調の問題もあるでしょう。
彼が零くんの部屋にはじめてお邪魔したときはピザとコーラだったのに、
つぎにおとずれたときには「やけにヘルシーな」お弁当になっている。
二海堂くんの体調のことを考えると非常につらいものがありますが…
しかし、だからこそ、彼は「「二海堂ワクチン」とか「二海堂システム」とか
名前の入った技を後世に残す」
ことに憧れているのでしょう。

香子もまた、二海堂くんとはまた違った意味で
フクフクとは遠い場所にいます。
将棋とシンクロできなかった彼女は
「街で遊びまわるように」なってしまった。
エヴァとシンクロできずにイインチョーのところにお泊りしたり
ふらふらしていたアスカの姿とだぶります。

もしかしたら、今後、彼女も三月町の川本家(あかりさんち)を
おとずれる展開もありうるかもしれない。だとすれば、
フクフクマイスターであるあかりさんが、
香子のココロのスキマに
介入しないわけがない。

しかし、そこは
世界でいちばん高貴なメスライオン
である香子のことなので、
そう簡単にはフクフクにはされないでしょう。
むしろ、嵐のように、川本家を内側からむちゃくちゃにしようと
さえするかもしれません。

まあ、それは俺の勝手な妄想としても、
おそらくフクフクという概念が作中で
否定的なニュアンスで語られることはいっさいないでしょう。
それだけあかりさんのフクフクは絶対であり、
あかりさんにかかれば、将棋さえも、世代をつなぐ絆のゲーム
ということになる。しかし、あかりさんが将棋を「ゲーム」
と呼んだことに引っかかるものを感じたのは俺だけでしょうか?


少なくとも、二海堂くんにとっては将棋は人生そのものでり、
「ゲーム」というふうには呼ばないと思う。
では、零くんにとっての将棋とはなんなのだろう?
その答えは、今後の物語のなかで語られていくことでしょう。

今回の連載でついに零くんのまえに姿をあらわした香子。
香車は成るか。あるいは…
これからも見守っていきたいと思います。(おもに香子を)

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 19:24 | comments(19) | - | - |

月光条例 1 (1) (少年サンデーコミックス)

「おとぎばなし」の世界がおかしくなって…
という設定がおもしろそうで以前から気になっていたのですが、
単行本の1巻が出たので読んでみました。
こういう設定って、やっぱりなんかわくわくするなあ。
「ドラえもん のび太のパラレル西遊記」とか。

ところで主人公の月光があまのじゃくなのは、
やっぱり「狼少年」ってことなのだろうか?
月と狼は切っても切れない関係だしなあ…
連載はまったく読んでいないので、
とんちんかんなこといってたらごめんなさい。
ちなみに「狼少年」はイソップ物語だそう。

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 17:45 | comments(0) | - | - |

ともさかりえのこと

EMIミュージック・ジャパン
---
(1999-02-24)
ORICON STYLEより一部抜粋

ともさかりえ、音楽活動再開を示唆

女優・ともさかりえが、23日(月)付の自身のブログで「実はですね、また再開しようかと 思っているですよ、音楽活動」と歌手活動を再開する意向を示した。

現在、楽曲は 廃盤となっているが、今月26日から、友人でもある歌手・椎名林檎の楽曲提供で 話題を呼んだ「カプチーノ」「少女ロボット」「シャンプー」の3曲と、「恋してる」「たそがれ」 が着うたフルで配信開始。

さらに「今までの音楽を聴いてくださっていた方も多く、ブログ宛てにもそんな(再開を 望む)声を寄せて頂いておりました」とファンの強い後押しもあり、音楽活動再開を決めたようだ。

まずはこのアルバム「むらさき。」を再販してくれ。
話はそれからだ。


amazonにも出品されてるけど、廃盤ということもあって、
5,000円前後の値がついてる。中古ショップでもなかなか見かけない。

このアルバムとか「少女ロボット」に収録されてる
椎名林檎の提供した楽曲もいいけど、
アニメ「金田一少年の事件簿」のEDテーマだった
「2人」もけっこう好きな曲だったなあ。

ドラマの金田一の美雪役も良かったなあ。
こういうポジション(歌も女優も)って、
いまでいうと柴咲コウみたいなもんなのかな。

JUGEMテーマ:音楽
posted by: アダチアタル | 雑記 | 19:44 | comments(0) | - | - |

人間椅子ニューヨークへ行く

エキサイトニュースより

[米ニューヨーク州ニューバーグ 20日 AP] 女性宅にあったソファに穴を開け、なんとその中に隠れて女性の帰宅を待っていた男が逮捕された。水曜日の夜、帰宅した女性(22)がソファに腰掛けたところ、何やらいつもと違う座り心地で違和感を覚えたという……。

それなんて「人間椅子」?

もちろん被害者の女性にとっては冗談ではすまされない事件ですが…
「警察が駆けつけたところ2人はバルコニーで言い争っている最中で、
リモネスは強盗などの容疑でその場で逮捕された。」とのことなので、
まったく知らない仲というわけでもなさそうですね。
なにはともあれ、口論で済んでなによりです。

都市伝説に「ベッドの下の男」というのもあるけど、
こうして実際起きてしまった事件は都市伝説化しないのかなあ。
「ソファの中の男」みたいな。都市伝説の生成過程にはすごく興味がある。

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: アダチアタル | 雑記 | 13:50 | comments(0) | - | - |

―誰が柔沢紅香を殺そうとかまうものか― 紅 kure-nai 第12話「われ存在り」



「紅」は同名のライトノベルを原作としているのですが、
多くのラノベや漫画のアニメ化作品がそうであるように、
キャラや世界観設定の変更が少なからず見られます。

もともとおれは原作を読んでいるので「原作どおりやれよ」
という意見もよくわかるのですが、アニメ版はアニメ版で
すごくおもしろく感じたし、原作とはまた違った
メッセージにあふれる作品だったと思います。

そこで、アニメ版と原作の違いを通じて、ちょっと
アニメ版「紅」のおれなりの感想を書き残しておこうと思います。

アニメ版「紅」の最終回でおれが最も気になったところ、それは
どうして竜士は柔沢紅香を刺したのか
という一点です(死なないけど)。といっても、多くのひとにとっては
そんなことはどうでもいいはずなので、ひとまず置いといて…

アニメ版でいちばん出番が増えたのは、たぶん蓮丈だと思います。
最終回付近に至っては、蓮丈の成長物語なんじゃないかってくらい。
原作の「紅」シリーズは、主人公以外の男性キャラがほとんど
登場せず、出てきたとしても真九郎を肩をならべるほどの
存在感を持つことはほとんどありません。

そんな男性キャラの存在感が薄い原作にくらべると、
アニメ版では蓮丈と竜士が破格といっていいほどのあつかい
を受けている。原作の絶対悪的な描かれ方と違い、
蓮丈や竜士を真九郎と対比して見ることさえ可能になっています。

実際、アニメ版の蓮丈は真九郎のもうひとつの未来
(バッドエンド・バージョン?)の側面を強く持っています。
蓮丈というのは、いうまでもなく紫の父親なわけですが、
同時に蒼樹の夫でもあり、アニメ版ではそこがより強調されていた。
原作では歯牙にもかけていなかった蒼樹の自殺を、アニメ版の
蓮丈は激しく後悔している。真九郎に「だからおまえに殺されたんだ!」
といわれてたじろぐのは、そのあらわれだと思います。

蓮丈 「意思が弱い女だったのだよ」
真九郎「強かったんだよ! だからおまえに殺されたんだ!」
蓮丈 「殺した……? 私が殺しただと……!」

蒼樹は蓮丈にとって大切な存在だった。それは最終回のエピローグ
からもわかる。原作の蓮丈ほど奥ノ院に代表される九鳳院のしきたりに
どっぷり浸かっているわけでもないらしい。(そういう意味では、
竜士のほうがよっぽど九鳳院の人間らしく描かれている)
しかし、蓮丈は九鳳院のしきたりから蒼樹を守りきれなかった。
これは、紫を九鳳院から守ろうとする真九郎の挫折した姿にほかならない。

もっとも、蓮丈は真九郎と違って九鳳院の人間なので、事情は
大きく異なります。蓮丈は九鳳院と「外」のジレンマに
(おそらくは蒼樹の死後から)悩んでいた節がある。
紫の意志を意外とあっさり受け入れたのもそのせいだと思います。
その点、竜士は九鳳院のしきたりに関して屈託がない。
むしろ、そのしきたりのなかでいきいきとしている。
だからこそ、奥ノ院が壊されそうになると、途端に逆上する。

しかし、奥ノ院を否定しているのは紫であり、
真九郎や紅香はその紫の意志を守ろうとしているにすぎない。
にもかかわらず、なぜか竜士は紅香に刃を向ける
それはなぜか。もちろん、作劇の都合上、真九郎の「角」を出現させる
には誰かを傷つける必要がある(真九郎はたぶん自分が傷つけられても
角は出さない)わけですが、それにしてもなぜ紅香なのか。

ちなみに原作の竜士は紫に平気で手を上げる変態ロリコン野郎であり、
単純に「悪いやつ」を倒してカタルシスを得るならそのままでも
よかったはずです。しかし、前述のように蓮丈がもうひとりの主人公
になってしまったせいか、竜士もウソかホントか紫が成人して
受け入れてくれるのを待つとまでいっている。えらい変貌ぶりです。
作劇上、真九郎はダメだし、キャラ上、紫もダメ、けっきょく
紅香ひとりがわりを食ったかたちになってしまった。

でも、原作の紅香は掟破りの最強キャラであり、竜士なんぞに
簡単に刺されるわけはない。アニメ版の紅香は明らかに弱体化している
また、細かいことをいうようですが、アニメ版の紅香は「〜だわ」のような
女言葉を使っていますが、原作では完全に男言葉でした。
むろん、戦闘能力もけたはずれ。そのため、原作での紅香は真九郎の
「母」であり「父」でもあるような、ほとんど神話的な強さ
誇っていたのですが、アニメ版では、その「父」の面が激しく衰退している。
これは、蓮丈がクローズアップされたことによる「父性の復権」
と無関係ではないと思います。蓮丈は、最後にこう語ります。

私は九鳳院の当主だ。
私は家を守る。おまえたちを守る。

カンペキ主人公のセリフじゃねーか…
そんなわけで、アニメ版にこめられたメッセージは、その多くが
蓮丈のキャラの変貌ぶりに集約されているのではないでしょうか。

原作のように真九郎のロリコン戦鬼っぷりを楽しむ
作品ではなくなっていますが、実写ドラマを観ているような、
最近のアニメにはめずらしい独特の雰囲気を持った作品だったと思います。

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
posted by: アダチアタル | アニメ | 12:54 | comments(0) | - | - |

トリビア

日本に「千の風になって」
原詩を紹介したのは




















デーブ・スペクター





…とWikipediaには書いてあります。
本当かどうかは定かではありませんが。

『Do not stand at my grave and weep』を日本に紹介したのはデーブ・スペクターである。坂本九の葬儀委員長を務めていた永六輔のもとに、良い詩があるからと『Do not stand at my grave and weep』の詩を持ち込んできたのがデーブ・スペクターであり、永六輔はその詩を葬式で朗読した。

さっきこの曲がラジオ(ジェットストリーム)でかかっていて、
ふと、この歌詞の宗教観はどうなっているんだろう
と疑問に思ったのでぐぐってみたのでした。

アメリカ合衆国発祥とされる詩、通称『Do not stand at my grave and weep』に、小説家でありシンガーソングライターでもある新井満が日本語での訳詩を付け、自ら作曲を務めたことにより生まれた楽曲。原詩の作者は不明であるが、アメリカ女性Mary Fryeが友人のMargaret Schwarzkopfのために書いた詩がもとになっているという説が有力である。 尚、ナチス・ドイツから逃げてきた亡命者がドイツに残してきた母の訃報を知り悲しむ親友のために、この歌は慰めることから生まれたという説がある。

また、マリリン・モンローの25回忌にも
朗読されたという説があるらしい。
911の前後にできたものかと思っていたが、
けっこう歴史のある詩だったんだなあ。

日本でもアメリカでも受け入れられたということは、
仏教やキリスト教などの宗教観は関係なく、
もっと根源的な、アニミズム的なものなのかなあ。

あ、いま「エーアーマンが倒せない」がかかってるw
どうなってるんだ、ラジアンリミテッドwww

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: アダチアタル | 雑記 | 01:02 | comments(0) | - | - |

村上春樹とギャルゲー



といえば、こんなものもあります。

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: アダチアタル | 雑記 | 21:49 | comments(0) | - | - |

ギャルゲー的なものとケータイ小説的なもの

この本を読んでいて思ったのだが、
いわゆる「ギャルゲー」的なものと
「ケータイ小説」的なものの決定的な違いは、
「いつまでもコドモでいたい」
「早くオトナになりたい」かの違いなのだろう。
あるいは、「リアル」志向と
「フィクション」志向の違いというか。

逆にいうと、その点をのぞけば、
ギャルゲーとケータイ小説は似ている部分も多い。
東京ではなく郊外が舞台であるとか、
恋人が難病であるとか。
しかし、前述のような決定的な違いがあるゆえに、
両者が歩み寄ることは、おそらくない。

成熟を拒否しているギャルゲーにおいては
恋愛が成就する「まで」が語られ、
成熟を切望しているケータイ小説においては
恋愛が成就して「から」が語られる。
「クラナド」で結婚や出産までが語られるのは、
そうした未成熟の段階にとどまることへの
批判や反省があったからこそだろう。

似て非なる「ヤンデレ」「デートDV」の違いは、
ギャルゲーとケータイ小説の違いそのものだと思う。
「ヤンデレ」は「片想い」の状況でなければありえず、
「デートDV」は「両想い」の状況でなければありえないから。

この「デートDV」というのはすごく興味ぶかくて、
たとえば「恋空」でも
恋人の男が主人公の女に対してすごく束縛する。
それを主人公の女は「絆」や「愛」と感じる。
暴力をふるったり、友人に主人公の女を監視させたり、
ほかの男とのコミュニケーションを制限したり…と、
これって「おまえに娘はやらん!」という「父親」
そのものなんじゃないだろうか。
そう考えると、ケータイ小説って、
ある種の「父殺し」の物語なのかも。

本書でも語られているように
そもそもケータイ小説と浜崎あゆみ
切り離せない関係にあるのなら、それも当然か。
母子家庭に育ち、コギャルから
女子高生のカリスマとなった
浜崎あゆみの歌詞世界から、
ケータイ小説は多大な影響を受けているので。
桜井亜美とミスチルの関係みたいな。

オタクがケータイ小説的なものや浜崎あゆみを
毛嫌いするのも無理はないのかもな。
あるいは、村上春樹に影響を受けた
ギャルゲーライターはいても、
村上龍に影響を受けたという
ギャルゲーライターをきかないのも、
それと似たようなものだと思う。
桜井亜美と村上龍のデビュー作、
それに多くのケータイ小説は、
作者と主人公の名前が同じだが、
そうした「リアル」の刻印は、
「フィクション」(=二次元)を志向するオタクの
心性とは反するのだろう。
そういう意味では、デビュー作において
デレク・ハートフィールドという架空の作家
を中心に据えた村上春樹のほうが
オタクの心性に合っている、と。

それをふまえると、村上龍を痛烈に批判した江藤淳から
大塚英志という流れは非常にわかりやすいな。
「サイコ」のルーシー・モノストーンは、
「歌うデレク・ハートフィールド」そのものだから。

JUGEMテーマ:読書
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 20:42 | comments(0) | - | - |

平野綾@トップランナー



録画していたのをおくればせながら観ました。

平野綾は国の宝なので国営放送が取り上げるのは当然として…

ハルヒはまあわかるとしても、
らき☆すたとかキディ・グレイドとか天使のしっぽまで
紹介されたのはちょっとびっくりしました。

あとは、乱歩の「怪人二十面相」の朗読とか…
こんなの誰がよろこぶんだ…
あっ、おれか。

そういえば、予告にしりあがり寿と
椎名林檎の名前が出てたなあ。
しりあがり寿ってあんなオシャレメガネさんだったのか。
林檎嬢の回も必見だな。林檎嬢はデビュー10周年とか。
いわゆるB面曲を集めたアルバムもこんど出ますね。



『私と放電』。
「すべりだい」とか「眩暈」とか「メロウ」とか、
いい曲ばっかりだなあ…
いや、でも、ファンならぜんぶ持ってるつーの。

JUGEMテーマ:日記・一般
posted by: アダチアタル | 雑記 | 03:11 | comments(0) | - | - |

漫画原稿紛失の謝罪金は

「hon-nin」で西島大介先生が書いてたけど、
ページ1枚につき原稿料の10倍というのが通例らしい。

だから今回の、雷句誠先生の損害賠償330万円という額は、
カラー原稿数枚とのことだから、決して高くない…というか、
むしろ安いくらいなんじゃないかなあ。


■漫画原稿紛失、著者が小学館を提訴

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
posted by: アダチアタル | 雑記 | 19:49 | comments(0) | - | - |