AKB48のベスト盤「神曲たち」を聴いていて、
これはむしろ「マゾ曲たち」だと思った。
たとえば、「Baby! Baby!Baby!」
I love you!
Baby! Baby! Baby!!
微笑んでくれ
僕を虜にした唇
君を独占させてよ
せめて 夢の中で
あるいは、「大声ダイヤモンド」
絶対に 君を 絶対に
しあわせにしてみせる
聞いて欲しいんだ
大声ダイヤモンド
「君のことが好きだから」
君のことを思う度
僕は神に感謝してるよ
振り向いてくれるのは 永遠の先
君のことが好きだから
僕はいつもここにいるよ
人混みに紛れて
気づかなくてもいい
君のことが好きだから
君と会えたそのことだけで
暖かい気持ちで
いっぱいになる
ほかにも、「遠距離ポスター」の
“遠距離ポスター/近くにいるのに/君は切ないほど/手が届かない”
などなど、例をあげればきりがない。
これらの歌詞はすべて、
「僕」から「君」へ、
すなわち「ファン」から「AKB」へ
の気持ちを綴ったものになっている。
つまり、
アイドルがファンの気持ちを
先取りして歌っているのである。
しかも、“せめて 夢の中で”とか
“振り向いてくれるのは永遠の先”とか。
どんだけマゾプレイを強いてくるんだ秋元康は。
しかし、これはアイドルの楽曲としては
ある意味とても正しい歌詞なのかもしれない。
「遠距離ポスター」で歌われるように、
アイドルは本来“手が届かない”もの。
AKBはもともと「会いに行けるアイドル」が売りだが、
だからこそ、歌詞の中で「君」と「僕」の距離
を繰り返し繰り返し再確認させることで、
ファンのアイドルに対するモラルを
刷り込んでいるのではないだろうか。
こうした歌詞の傾向は、つんく♂Pのモー娘。では
あまりみられなかったので、どうも気になった。
おニャン子メンバーと結婚した秋元康にいわれたくねえよ
という意見ももっともではあるが……
評価:
SPEED エイベックス・エンタテインメント ¥ 2,895 (2009-08-05) |
このふたつのジャケットを見ていると、
ウォッチメンのこれ↓を思い出す。
作中では「ヒロシマの恋人たち」とも呼ばれている。
(7番街の壁に、抱き合う人影が
スプレーで落書きされていた。
どこか、ヒロシマの壁に残った
被爆者のシルエットを思わせる
―― 「ウォッチメン」P192 PANEL16)
このイコンって、さらに元ネタがあるのかな。
やっぱりアダムとイヴあたりかな。
泰子のエゴイスティックな保護欲と、それに応えなくてはそもそも存在する意味さえないと思える空虚な自己像が竜児の前に立ちはだかった。
母親の守る家という居場所を捨てると決めて走り出した時には、この手は大河を掴んだ。
捨てられたのは、自分だ。
泰子は自分が捨てた家に、今度は竜児を、捨てたのだった。
だって、世代の絆の繋ぎ方を、我々は知らない。