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とらドラ10! (10) (電撃文庫)

アスキーメディアワークス
¥ 536
(2009-03-10)
泰子ーッ!俺だーッ!結婚してくれー!

最終巻は、ほとんど高須「家出少女」泰子の成長物語でしたね。
やっちゃんかわいいよやっちゃん。
小一時間ほど、どうやったらやっちゃんと結婚できるか悩みました(ぇ

それにしても、やっちゃんが竜児を産むに至った背景を考えると、
ケータイ小説ばりの恋愛ストーリーがあったはずで、
そう考えながら読むと、「とらドラ」は本来ラノベではあつかいづらい
テーマをわりと真正面からとらえた作品だと思う。

とくにそれ感じるのは、「家族」の有り方に関する描写。

 泰子のエゴイスティックな保護欲と、それに応えなくてはそもそも存在する意味さえないと思える空虚な自己像が竜児の前に立ちはだかった。

 母親の守る家という居場所を捨てると決めて走り出した時には、この手は大河を掴んだ。

 捨てられたのは、自分だ。
 泰子は自分が捨てた家に、今度は竜児を、捨てたのだった。

ここまではっきりとインナーマザー(子どもの心を支配する母)
をラノベで描けるゆゆこ先生はマジですげぇ。

きわめつけは次の一文。

だって、世代の絆の繋ぎ方を、我々は知らない。

おれにとって、この「我々」はかなりのインパクトがある。
その唐突さや違和感はともかくとして、
そこにおれも含まれるんじゃないか、というような意味において。

オタク的には「母」の負の部分を描くのは
NGかと思っていたけど、「とらドラ」の人気を見ていると、
そんなことないんだなあと感じる。
むしろ、オタクが忌避しているのは
「妻」(リアル嫁)という存在なのかもしれない。
「CLANNAD」において、渚が汐を産んだと同時に
死ななければならなかったように、
「妻」のなかでもとくに、自分が「父」だという自覚を迫る
「子」の「母」としての「妻」
を描くことは、
オタク向けの作品で描くことはきわめてむずかしい。

以前このエントリーでちょこっと書いたけど、
ニート・ひきこもり・喪男の先駆者たる
江戸川乱歩は、胎内回帰的なユートピアを描くいっぽうで、
「妻」としての女というものを激しく憎悪し、恐怖する。

ほんと「○○は俺の嫁」なんて、
絶対に不可能だとわかっているからこそ
口にできる言葉だよなあ。

それはつまるところ、こういうことなんだろうか……

爐世辰董∪ぢ紊励の繋ぎ方を、我々は知らない。


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posted by: アダチアタル | 本の感想 | 13:41 | comments(0) | - | - |

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