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ギャルゲー的なものとケータイ小説的なもの

この本を読んでいて思ったのだが、
いわゆる「ギャルゲー」的なものと
「ケータイ小説」的なものの決定的な違いは、
「いつまでもコドモでいたい」
「早くオトナになりたい」かの違いなのだろう。
あるいは、「リアル」志向と
「フィクション」志向の違いというか。

逆にいうと、その点をのぞけば、
ギャルゲーとケータイ小説は似ている部分も多い。
東京ではなく郊外が舞台であるとか、
恋人が難病であるとか。
しかし、前述のような決定的な違いがあるゆえに、
両者が歩み寄ることは、おそらくない。

成熟を拒否しているギャルゲーにおいては
恋愛が成就する「まで」が語られ、
成熟を切望しているケータイ小説においては
恋愛が成就して「から」が語られる。
「クラナド」で結婚や出産までが語られるのは、
そうした未成熟の段階にとどまることへの
批判や反省があったからこそだろう。

似て非なる「ヤンデレ」「デートDV」の違いは、
ギャルゲーとケータイ小説の違いそのものだと思う。
「ヤンデレ」は「片想い」の状況でなければありえず、
「デートDV」は「両想い」の状況でなければありえないから。

この「デートDV」というのはすごく興味ぶかくて、
たとえば「恋空」でも
恋人の男が主人公の女に対してすごく束縛する。
それを主人公の女は「絆」や「愛」と感じる。
暴力をふるったり、友人に主人公の女を監視させたり、
ほかの男とのコミュニケーションを制限したり…と、
これって「おまえに娘はやらん!」という「父親」
そのものなんじゃないだろうか。
そう考えると、ケータイ小説って、
ある種の「父殺し」の物語なのかも。

本書でも語られているように
そもそもケータイ小説と浜崎あゆみ
切り離せない関係にあるのなら、それも当然か。
母子家庭に育ち、コギャルから
女子高生のカリスマとなった
浜崎あゆみの歌詞世界から、
ケータイ小説は多大な影響を受けているので。
桜井亜美とミスチルの関係みたいな。

オタクがケータイ小説的なものや浜崎あゆみを
毛嫌いするのも無理はないのかもな。
あるいは、村上春樹に影響を受けた
ギャルゲーライターはいても、
村上龍に影響を受けたという
ギャルゲーライターをきかないのも、
それと似たようなものだと思う。
桜井亜美と村上龍のデビュー作、
それに多くのケータイ小説は、
作者と主人公の名前が同じだが、
そうした「リアル」の刻印は、
「フィクション」(=二次元)を志向するオタクの
心性とは反するのだろう。
そういう意味では、デビュー作において
デレク・ハートフィールドという架空の作家
を中心に据えた村上春樹のほうが
オタクの心性に合っている、と。

それをふまえると、村上龍を痛烈に批判した江藤淳から
大塚英志という流れは非常にわかりやすいな。
「サイコ」のルーシー・モノストーンは、
「歌うデレク・ハートフィールド」そのものだから。

JUGEMテーマ:読書
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 20:42 | comments(0) | - | |
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