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乱歩と二人の女

 乱歩作品に胎内回帰願望がひそんでいるというのは、よく指摘されることだけど、最近短編をまとめて読み返してみて、じつはその「母」というモチーフの鏡像のようにもうひとりの女が隠れていることに気がついた。

 それは「妻」というモチーフだ。

 たとえば「お勢登場」という短編は、子どもとかくれんぼしていて、長持(衣類などを入れる、長方形の蓋つきの大きな箱)に隠れたまま、掛け金がかかって出られなくなった男を、妻がいちどはそれに気づきながらも、知らんぷりして殺してしまうという怖ろしい話。

 あるいは「人でなしの恋」。これは、夫が夜な夜な土蔵で人形を愛でていることに気づいた妻が、その人形を壊してしまい、夫がそれに絶望して自殺してしまう話。

 この両者に共通するのは、夫が妻に罰せられ、胎内回帰したまま死ぬという構図になっているという点。「お勢登場」では夫は長持のなかで死ぬし、「人でなしの恋」では土蔵のなかで死ぬ。

「芋虫」にしてもそう。戦争で両手両足を失った夫が、妻との関係に苦しんで、最終的に古井戸まで這って身投げする。芋虫、つまり幼虫にたとえられる男が、まるで産道を逆行するように古井戸に落ちて死ぬというところが、じつに意味深。

 この、夫が妻に罰せられ、胎内回帰したまま死ぬという構図を意識して読み返してみると、ガラリと印象が変わってくる作品がある。「鏡地獄」という短編だ。これは、鏡の魔力にとり憑かれた男が、内部を鏡張りにした球体のなかに入り、そこで「われわれには、夢想することも許されぬ、恐怖と戦慄の人外鏡」を見、発狂して死んでしまうという話。これには、

 彼はその後、狂ったままこの世を去ってしまいましたので、事の真相を確かむべきよすがとてもありませんが、でも、少なくとも私だけは、彼は鏡の玉の内部を冒したばっかりに、ついにその身を亡ぼしたのだという想像を、今に至るまでも捨て兼ねているのであります。

 というもっともらしい締めの文句が付されているのだが、こうして胎内回帰したまま死ぬ男の陰には、やはり「妻」の存在が見え隠れしている。

そのうちに、鏡の部屋へはいるのは、彼一人だけではないことがわかってきました。その彼のほかの人間というのは、彼のお気に入りの小間使いでもあり、同時に彼の恋人でもあったところの、当時十八歳の美しい娘でした。

 彼女は、男が鏡の玉に入った時点では「今では奥様と呼ばれている彼の愛人の小間使い」へとひそかに昇格している。

もうおわかりですね。これは明らかに死亡フラグです

彼女の唯一のセリフは以下のようなもの。

「一体どうしたというのです」
 私はかの小間使いをとらえて、先ずこう尋ねるほかありませんでした。
「さっぱりわかりませんの。なんだか中にいるのは旦那様ではないかと思うのですけれど、こんな大きな玉がいつの間にできたのか、思いもかけぬことですし、それに手をつけようにも、気味がわるくて……さっきから何度も呼んでみたのですけれど、中から妙な笑い声しか戻ってこないのですもの」

 この「なんだか中にいるのは旦那様ではないかと思うのですけれど」なんて、冷静に考えてみると白々しいことこの上ない。鏡地獄よりも、この女のほうがよっぽど怖ろしく思えてくる。

 しかし、彼女たち「妻」は怖ろしい反面、魅力的でもある。事実、「お勢登場」のお勢は、あの名探偵・明智小五郎と対決する予定さえあったらしい。

 若し作者の気持が許すならば、この物語を一つの序曲として、他日明智小五郎対北村お勢の、世にも奇怪なる闘争譚を、諸君にお目にかけることが出来るかも知れないことを申し加えて置きましょうか。

 けっきょくこの対決は実現しなかったけど、のちに書かれた「黒蜥蜴」「化人幻戯」にその構想は受け継がれているのかもしれない。

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posted by: アダチアタル | 雑記 | 05:30 | comments(0) | - | - |

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