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「寝ながら学べる構造主義」を寝ながら読んでみた(1)

内田 樹
文藝春秋
¥ 725
(2002-06)
本文に合いの手を入れつつ、淡々と読み進めていくお。
太字や赤字による強調は、すべて俺によるものです。

まずは第一章より、

 例えば、『悲劇の誕生』で、ニーチェはギリシャ悲劇におけるコーラス(合唱隊)の分析を試みています。ここでニーチェは「コーラスは『理想的客観』である」という説を吟味して次のように書いています。
 ふつう、演劇の観客は、舞台上で演じられている出来事は「事実ではない」ということをどんな場合でも意識にとどめています。それに対して、ギリシャ悲劇の中でのコーラスは、物語の単なる傍観者ではありません出来事を眺めつつ、ときには出来事に驚愕し、ときには舞台の出来事に介入します

ギリシャ人の悲劇のコーラスは、舞台上の人物を生身の肉体をそなえた実在の人物と見なすように強いられている
オケアノスの娘たちのコーラスは、巨人プロメテウスを目の前にながめているのだとほんとうに信じているし、自身、舞台の神と同様に実在の身であると考えているのである。」(『悲劇の誕生』)

 ギリシャ悲劇のコーラスは、ですから、まるで登場人物のように、舞台上のドラマに巻き込まれ、叫び、泣き、笑い、その出来事を内側から「生きる」ことになります

つまり、「クラナドは人生」ってことだな(ぉぃ

自重せずに、ギリシャ悲劇のコーラス
ギャルゲーのプレイヤーに置き換えてみると、こんな感じ。

ギャルゲーのプレイヤーは、
モニタ上のヒロインを生身の肉体をそなえた
実在の人物と見なすように強いられている。
東鳩2のプレイヤーは、タマ姉の巨乳を
目の前にながめているのだとほんとうに信じているし、
自身、ギャルゲーのヒロインと同様に
実在の身であると考えているのである。


「ほんとうに信じている」というのはさすがにウソだけど…
ただ「クラナドは人生」という言葉がネタとして口にされる反面、
エロゲー主人公及び、全ハーレム系主人公の
「なぜ何もしていないのにそんなにもてるんだお前」の解
(「徒然日記」様)
として「ToHeat2 AnotherDays」にて提唱された能力、
ヘタレ力というのは、ギャルゲーのプレイヤーが
主人公に同一化するための方便
にほかならないと思う。

ギャルゲーをプレイするこの俺が女の子にモテまくる理由なんて、
どう逆立ちしたって出てこないもんな、本来。

東鳩も、1の主人公である浩之ちゃんは典型的な昼行灯タイプではあるけど、
「やるときはやる」必殺仕事人の中村主水みたいなキャラだったんだよ。
でも、ヘタレ力の持ち主こと東鳩2の主人公の貴明くんは、
主水から仕事人の顔を引いた、単なるムコ殿でしかなくなっている。

しかし、ギリシャ悲劇のコーラスのように「理想的観客」になるには
俺たちはスレすぎてしまっているので、「ハルヒ」のキョンのように
韜晦めかすことでしか主人公に同一化できない
、と。

ヘタレ力ということば自体を、主人公自らいい出すのではなく、
ヒロインの口から説明させるところに、
一抹の欺瞞を感じずにはいられないが。
そこらへんをつっこみはじめたら、アダムとイヴみたいに
楽園を追放されちゃうもんなあ。


そして、新世紀のイブは、もう決して
赤いリンゴは食べないだろう
(ドラマ『リップスティック』)



そして、アダムも。

JUGEMテーマ:読書
posted by: アダチアタル | 本の感想 | 17:33 | comments(0) | - | - |

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